ウェブスタージャパンの歴史2

2011
07.20
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ウェブスタージャパンの歴史についてご紹介しています。
前回は、ウェブスタードットコムタイランドの誕生について、当時のタイの経済状況などの背景を中心にお伝えしました。
今回はいよいよ創業についてお話していきたいと思います。

インターネットが普及すれば、デジタル工房的なウェブサイト制作や3DCG、CGアニメーション等の制作ニーズは上昇する。
ウェブスタージャパンの創業者である大川氏はそう確信していたと言います。

その確信と、アジア通貨危機の中、大きな成長を遂げてEPZ型の企業をモデルにウェブスタードットコムタイランドは設立されました。

ウェブスタードットコムタイランドでは、EPZ型を徹底、顧客を日本企業のみに絞りました。
同年11月には、ウェブスタードットコムジャパン(後にウェブスタージャパンに改称)を設立し、営業活動は日本、受注した案件はすべてタイにて制作を行うというビジネスモデルを立てたのです。

時代はITバブルの崩壊、更にはアメリカ同時多発テロのあおりを受け、経済不況にますます拍車がかかる中、ウェブスタージャパンが生き残り、成長を続けることができたのはこのビジネスモデルによるところが大きいと言えます。
人件費などタイでの安価な経費により、ウェブスタージャパンは、日本では考えられないほどの安い価格設定で、ハイクオリティな製品、サービスを、短期間で提供することを可能としました。
しかも完全カスタマイズ製品での提供を行い、短期間で驚異的とも言える成長を遂げることに成功しました。

それでもタイという、日本から見れば貧しい国での開発、制作に対して、当初は「発展途上国」という色眼鏡で見られることも多く、信頼を得るまでには時間がかかったと言います。
しかし、実績を積むことにより、次第に顧客の不安感は払拭されていったそうです。
当時30名ほどいた従業員は全員アメリカ、日本での留学経験者であるタイ人で構成されていたということですが、多少とも日本の文化や日本人の性質を体感したことのある人たちでの制作、開発であったことが、日本人顧客の満足するクオリティ維持に役立っていたのではないかと推測します。

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